空手道の稽古をしている子供達の親から、いろいろな話を聞く事があります。いじめっ子だった子供が優しくなった、無気力だった子供が空手道の稽古を一度も休まず皆勤賞をとった、家の中に閉じこもりゲームばかりしていた子供が外に出て空手道の型を稽古するようになった、横道にそれそうになった子供が空手道によって修正されたと、子供たちが良い方向に変わった話がたくさん聞こえてきます。私の求めているものが、少しずつ現実になって返ってくると、やはり空手道の指導に首を突っ込んだことは私にとって間違いではなかったし私の気持ちがきちんと伝わっていると確信し、嬉しく思います。

 私自身にも大きな変化がありました。空手道を習い始めたばかりの頃は、型の稽古ばかりでちっともおもしろくないし、踊りみたいで存在感がなく実戦に役立たないのではないかと思っていました。そんな気持ちから、太極拳、剣道、弓道、合気道、杖術、柔術、居合道など他の武道を習いに出掛けました。日本舞踊の中にも、何かが隠されているのではないかと思い習ってみました。大森曹玄氏ご存命の頃、中野高歩院の道場へ出向いたこともありました。しかし、どこへ行っても私の本当に求めているものに出会うことがありませんでした。疑問を抱きながらもただ黙々と型を稽古していた空手道の意味がふと解ったとき、私はたいへん遠回りをしていたことに気がつきました。今まで習いたいと思っていたこと、私の求めていたことが、空手道の中にすべて入っていたのです。まるで童話の中の「青い鳥」のようでした。故江上茂先生が本にも書かれている「愛」についてもようやくわかりました。山岡鉄舟の「心の中に刀を」という意味も、上泉伊勢守信綱、柳生石舟斎宗厳をはじめ、過去の武術家たちの残した道歌の意味が、全部空手道の型の中に隠されていることがわかりました。私は、どんなときでも子供たちの方を向いて、子供たちの中に入り、子供たちに溶け込むようにしています。指導者と子供たちとの間をあけず、それでいてけじめはしっかりつけ、大きな愛情で包み込めるように努力しています。まだまだ未熟な私、本物を求めて、いつでも自然体でありたいと思います。



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