私は、子供たちを良く褒めます。子供たちは褒められて成長していきます。大きな声が出たといっては褒め、受け技でも、突き技でも、蹴り技でもいつもより良いときは、叱ったときの倍以上褒めます。そのときの子供たちは、生き生きして本当に嬉しそう、そしてやる気を体全体で表現してくれます。しかし、いいかげんな稽古をしたり、人に迷惑をかけるようなことをすれば必ずその場で叱ります。しばらく正座をさせて、小さな声で叱ります。子供たちは大きな声で叱られることには慣れていますので、いくら声を張り上げても効果は一時です。小さな声で話すことで子供たちは聞き耳をたて、一生懸命聞こうとします。受入れ態勢ができたときに話す一言はしっかり頭に入ります。だから、どんなにふざけていても私の目を見るとすぐ静かになり、同じことで何度も叱られることはありません。子供たちにやる気が出たとき集中して稽古します。もちろんどんな小さなことでも褒めながらです。子供たちは無言でいろいろなことを訴えます。私たちにいろいろ教えてくれます。今は褒めてほしいんだよ、叱ってほしいんだよ、息抜きがしたいんだよって、本当に良く知らせます。それを指導者は素直に受け止め、できるだけ子供たちの要望に応えてあげなければなりません。一方的に技を教えるだけでは子供たちは育たないと思います。キャッチボールのように投げたり受けたりして、はじめて子供たちの心をつかむことができるのです。
私は、子供たちと仲良くなるために、よく相撲をします。そして、子供たちの心の中を少しでも知ろうと努力しています。何としても倒そうと一生懸命掛ってくる子供たちの心の中はさまざまです。父親がいなくて淋しい心の中が見えたり、いつも母親に叱られてばかりでストレスいっぱいだよと言っている心の中、または、愛情いっぱいに育てられちょっぴり弱虫な子供の心の中をのぞくことができます。そんな子供たちの心の中が見えたとき、それなりの対応をしなければなりません。それが私の役目だと思っています。
淋しい子供にはたくさんの愛情をあげ、愛情いっぱいで弱虫の子供にはちょっぴり厳しくしなければなりません。褒めるときはみんなの前で大きな声で褒め、叱るときは今何で叱られているのかをしっかり教えながらそっと叱ります。ときには頭を拳でゴリゴリすることもありますし、足払いをすることもあります。でも子供たちは、叱られても叱られても寄ってきます。こんな子供たちが私は大好きです。そして子供たちは愛情を注げば必ずこちらの気持ちが通じますし、きちんと応えてくれます。針谷夕雲は、「春雨の分けてそれとは降らねども、受くる草木はおのがさまざま」とよんでいますが、どの子供も同じように教えているのに、育ち方はさまざまです。あっという間にうまくなる子供もいれば、何年も皆勤賞をとるくらい休まず稽古している真面目な子供でも、なかなかうまくならず、まるで亀のような子供もいます。それでも、どの子供も着実に上達していることは確かです。
今までに黒帯を締めた子供は100余名おり、次の審査で確実に取れるであろう子供も数名います。本当の目的は黒帯を締める事ではありませんが、子供たちのささやかな希望がそれであっても良いと思います。念願の黒帯を取った子供たちに対して、決してねたみもせず、本当に心から「おめでとう」と言っている他の子供たちの優しい心をたいへん嬉しく思っています。
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